Z公園での出来事

<「透明な天」本文からの抜粋>

雨上がりの青空が一面に広がった、六月の昼下がり、Hが家にやって来た。
その日は裕子が日本語レッスンの当番だったが、久しぶりのいい天気なので、公園を散歩でもしましょうということになった。

237H

入り口付近から左手一面にかけて、池が広がっている。魚釣り禁止の立て札が立っていた。
小学校一、二年生ぐらいの子供が、そこで魚釣りをしていた。傍の容器の中で、小さな魚が一匹泳いでいた。
すると、Hは突然子供の側へ行き、目線を合わせるようにしてしゃがみ込んだ。
「今から願い事をひとつして、その魚を放してやりなさい」と言って、子供の目をじっと見つめた。
子供は小首をかしげて何やら思案しているようだったが、やがて手を胸に当てて目を瞑った。それから目を開けた子供は、容器の中の魚を逃がしてやった。
それを見たHは、さも嬉しそうに「いい子だね」と言いながら頭を撫でてやり、ポケットから百円玉を取り出して子供の手にそっと握らせた。
子供は不思議そうに手の中の百円玉を見つめてから、はにかみながらHに「ありがとう」と言った。

4H

たった今、滑り台を滑り終えた小さな女の子が、ヨチヨチ歩きで母親の許へと向かっていた。そこへ少年の蹴ったサッカーボールが逸れて、女の子目がけて飛んできた。
それを見たHは、すばやく女の子の方へ駆け寄ると、肩に抱え上げるや否や、手前で弾んだボールを一旦胸で受け止めてから、右足で軽くキックした。
ボールはふわっと浮き上がり、ちょうど少年たちの輪の中間あたりで軽く弾んだ。
「すみませーん」と言う声が、二箇所から同時に掛かった。
Hは少年たちに向かって軽く手を振ると、女の人の声がした方を振り向いた。女の子の母親らしい。心配そうな顔で何度も頭を下げ、「すみません」と繰り返している。
Hは、びっくりして今にも泣き出しそうな顔をした女の子に、うっとりしたように目を細めながら、頬ずりした。
女の子の耳元で「大丈夫だよ」と言い聞かせるようにしながら、母親の許へと向かっている。
Hが子供を降ろすと、「どうもありがとうございました」、と母親は深々と頭を下げた。

209H

一休みしようと裕子が缶コーヒーを買って戻ってくると、缶ジュースを手にした少年たちは、Hに手を振り去っていった。
缶コーヒーの一本をHに渡し、裕子たちは四阿のベンチに腰を下ろした。
「釣りをしたことはあるの?」と裕子が訊くと、「釣りは好きです」とHは言う。
「でも私の場合は、キャッチ・アンド・リリースです」
自分が釣った魚を持ち帰ることはないらしい。



2016年2月22日 12:23 PM   透明な天〜ミッション フロム ヘヴン 1〜


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